歌は優しく
今ではほとんどの人々が何らかのアカウントを所有しているSNS。
調べてみると世界的に本格的にSNSが始まったのは2002年のFriendsterから。
Facebookは2004年なのだそうです。
MIXIもおなじく2004年。日本ではMIXIの方が過熱気味にその存在感をアピールしていました。
あの頃、クリエイター仲間から招待を受けて、MIXI内にいるアカウントを見て衝撃を受けたあの感覚を今でも覚えている。
SNSは、当時、今のような誰でも加入できるというような扱いではなく、どちらかといえばクリエイター同士の交流を謳い文句として人数を増加させていた。シークレットな意味合いも含んでいた。
MIXIによるオフ会も盛んで、参加すれば名だたるクリエイターと普通に会える場所もあった。
先輩コンポーザーがMIXIを絡ませたCafeを開業されて、定期的に行われたパーティーでは、本当に刺激的な面白い仕事をしているクリエイター、映画監督、デザイナー、イラストレーターなどが参加されていた。
参加されているクリエイターは、駆け出しなどではなくトップクラスの御方々だった。
世界磁場のシフト
あの頃から年月を経て世界は少しずつ姿を変え始めた。
大震災・コロナ禍と、まるで映画でも見ているかのような歴史的出来事に右往左往しながら、今のぼくたちの暮らしは向かう場所を見失いながら、それでも精一杯に1日1日を過ごしている。
音楽・エンターティメントの意味も随分と変化した。
ある意味疲弊している部分が侵食している。
CDが中心だったデバイスはすべてデータになり、サブスクリプションにより音楽の聴き方はタダ同然のようになった。
ニュースなどを見ていても、昔であれば一年に一度あれば大ニュースになったようなことが毎日のように報道されていて、Yahooのトップページを見れば痛々しさでページを閉じてしまう。
ロマンチックには何種類かの派があり、輝いたジャガーで届けられる真っ赤な薔薇もロマンチックではあるけれど、かすみ草の白さもロマンチックであり、四葉のクローバーにもロマンチックはある。昔の人々であれば名前も知らない白い花を忘れられない恋もある。
吉祥寺などには存在するのかもしれないけれど、詩集を大事そうに抱え歩く真っ白なワンピースに麦わら帽子なんて少女は、なかなか見当たらない時代。
これからの時代の子供たちへ
これからの時代を担う子供達の事を考えると、音楽は本当にこのままでいいのだろうかと、一人勝手に悩んでしまう。
ぼくが悩もうと悩むまいと世界には一ミリも影響なんてないとしても、それでも考えてしまう。
ぼくはゲームはしない主義なのだけれど(人生そのものがゲームという考えからもありながら)
バトルを主体としたゲームなどの開発発展を見ていると、今の子供たちの脳内の現実と妄想の境目が気になってしまう。
彼らには世界はどのように見えているのか。どのような世界を望んでいるのか。
引き寄せの法則、量子力学、スピリチュアルなども、扱い方次第で薬にも毒にもなってしまう。
一時的な成功ではなく、永続する幸せを誰か我々の世界に教えて欲しい。
歌を書くときに大切なのは主題である。
主題はタイトルであり、主たるメッセージでもある。
何を伝えたいがために彼の歌はあるのか。
あたりまえの日常にあるかけがえのなさを歌う。それも素晴らしい。
だけど、何事も意図が見えてしまうと興ざめを起こすものだ。
作者さえも気づけないような意図で描かれていくストーリー。
そこにリスナーはときめく。
名曲を書くことだけを目的として
もう音楽からは離れようと思い決めたことが何度もあった。
歌を書く暮らしは苦しすぎると、当時のぼくは思った。
それでもまた、突き動かされる衝動で歌を書き、また苦しさを知り、仕事を断ったこともあった。
作家としてはブレているのか、いっそこれこそが正しい作家の姿勢なのか、自分には分からずとも、自分の内側から聞こえてくる声に逆らうことはできなかった。
そして今、ぼくは歌の書き方を教えながら、自分でもこれからもまだまだ歌を書き続けたいと叫んでいるハートに自ら気づいている。
単純な主題では書かない。
だけれど毒を含むことで売れていく世界を意図するような歌も書きたくはない。
世界の全てに光がある。
それを歌に、
書き続けよう。
いつかきっと届く。
ぼくの熱さを受け継いで歌を書いてくれるようなクリエイターにも出会いたい。
歌にはまだまだできうることがある。
タロットカードで言えば他者からはフールのような姿に見えたとしても、
ハートの内側はワールド。右手にはマジシャン。
次に開くのはスター。
運命の輪を回し、自分にできる事を再認識していこう。
あなたも、
きっとあらゆることが可能だ。
信じよう。
天と地と人生を。
ぼくは信じ抜く。
Makoto ATOZI