本来、音楽にはとてつもない力がある
昨年11月、ネット上で、ある女性アーティストのインタビュー記事を読んだ。
Furui Riho 北海道発信のアーティスト。
北海道と東京の行き来で活動していた日々を越えて、今は拠点を東京に置いたとのこと。
インタビューでは平井堅 楽曲『楽園』にふれていて、
幼少の頃、この楽曲を聴きながらシルバニアファミリーで遊んでいたというなんとも独特な遊びを紹介していて気になってしまい、
彼女の楽曲『LOA』一発でハートを撃ち抜かれてしまった。
なんという歌を書いて歌うんだ。
音楽の持つパワーについて再認識させられたアーティスト。
衝撃を受けました。
エモーショナルな天性
どの楽曲も、センセーショナルでエッジの効いた歌詞、音楽を未来へと連れて行くようなメロディー、アーティストとしての天性の明るさ。
全曲聴きこみ、聴き込むうちに歌詞の内容に、これはいつの時代もヒットする楽曲に共通する性質ではあるのだけれど、
自分自身のこととして感じ、反省、懺悔と、同情、からまりまくるせつなさに気がつくと最近のBGMはいつもFurui Rihoの楽曲になっている。
歌詞は毒を吐き、エッジは痛いながらも、なぜこんなにも心が高揚するのだろう。
それが音楽の力といってしまえばそれまでだけれど、いつの日かきっと時代は彼女に気づき彼女を選ぶだろう。
Furui Rihoというアーティストは時代に選ばれるのだろう。
しゃがんでしゃがんでジャンプのタイミングを待ち望み、加速してしまった歌の力。
おなじようなアーティストはごまんといる中で選ばれる才能、または天の恩寵。
こんなアーティストに歌を書いてみたかった。
とても傲慢な願いではあるけれど。
ぼくは完全なファンになってしまい、彼女の出演ラジオをRADIKOのタイムフリーで追いかけたりしている。
作家からアーティストやクリエイターへの直接のDMは本来、ルール的にNGではあるのだけれど、そうではなく、あくまでもファンレターとしての位置付けでDMを送信した。とても勇気がいることだった。
すると、J-WAVEのラジオ番組に出演した際に、ぼくからDMが来たと言うことを話されていて、クラクラした。
大人になったこのアーティストがまたシルバニアファミリーで物語を描けるような歌をぼくはいつか誰かに向けて書くことができるだろうか。
それにしても最近、ライブツアーの映像がYouTubeに連続でアップされているのだけれど、圧倒的に素晴らしく。
やわらかく、芯を持ちながら、安定とクレイジーさと底抜けな明るさ(きっと闇を知るからこその愛)とで会場はひとつのクリエイテイヴな場になっている。ライブアミューズメント。魔法のねずみの国よりもパッションにあふれているかもしれない。
才能を超えて、アカシックレコードにさえも軽々とアクセスしたかのような音楽。
プリンセスとして迎えられて成功というスタイルではなく、真っ向勝負、体当たり的なスタイルも時代にピッタリ合っている。
人生、小さな身体、想像をきっとはるか超えた大きな魂、振り絞るようにライフをライブする。
ぼくは彼女の音楽活動から目を離せない。
どこににいようとも才能は必ず選ばれる。
Makoto ATOZI