こちらを立てればあちらが立たず
SNSは現状確認、生存確認などで有効な部分もあるけれど、
そもそも生存確認なんて言葉が一般化している世界は幸せな世界と言えるのかどうか…。
全方向に配慮しながら何かを発信しようとしても、必ずなんらかのアクシデントはある。
それはまるで磁石のように発した発言に対して新たなニュース。
新たな事実などを引き寄せて、この投稿はこのままでいいのだろうかと悩んでしまうという経験は誰にでもあると思う。
あちらを立てればこちらは立たず、こちらを立てればあちらは立たず。
そんな一言一言を怯えながら発信するなんてダサいなと思う一方で、それが時代だよという声も聞こえてくる気がする。
管理・監視・統制されているオンライン上で価値ある姿を見せるには
言わずと知れたように検索上で出てくる情報、アクセスに関する情報。
パスワード等、あらゆる場面において、インターネット上の動きは統制されている。
SEO・検索エンジン対策なども有効ではありつつも、それもそれぞれの立場によるところもある。
それらの統制を抜け出して、まるで解脱するかのように思い通りに発信をしていくためには
価値あるリソースが絶対的な条件となる。
出る杭にならねばならない。低く設定された屋根はとりはらおう。
これはインターネットに限ったことではなく、いかに価値があり、魅力的な何かを与え続けていくことができるか。
それがこれからの時代を生きていくためのトビラを開く鍵。
本当の自由を知るのは誰か
ぼくたちはあまりにも人の視線を気にしながら生きてきてしまった。
そこからはみ出して、その上で魅力的でいるための術を失いつつある。
強者が弱者から搾取する仕組み。表には見えない裏の動き。
それらもやがて世界の市井の人々にも知る時代が来るのだろう。
嘘と本当と見せかけと偽りと罠と善意と悪意と優しさと強さ。
宇宙はどこへ向かっているのだろうね。
世界を動かしているのは誰なのか。
太陽なのかお月さまなのか。
それとも全生命の魂なのか。
少なくとも、物質である状態で世界を動かしているなんて思う存在があればそれは馬鹿馬鹿しいことだ。
一人一人にはどれだけの力があるのか。
そもそも、ぼくには、ぼくのこの二つの瞳からしか世界は見えていない。
後ろは見えない。
そうか、ならば前だけを見つめながら歩むだけか。
前に壁があるなら破ればいい。壊せばいい。壊せ、長らく閉じ込められてきたブロックを。
いっそ壁さえもすり抜けられるような精妙さを持とう。
価値あることを成せ。
Makoto ATOZI