25年目で気づけたこと
作詞家になって25年の歳月が過ぎました。
平井堅『楽園』という楽曲から始まった、ぼくの作家人生は全てが順風満帆という日々ではありませんでした。
デビューしてから10年ほどは身にあまるほどの光栄なお仕事を与えられ、刺激に満ちた毎日でしたが、やがて精神的な疲弊に気づかずにいた暮らしから、パニック症を起こし、地元へ帰り、それからは一年で書く歌の数もかなり少なくなりました。
フライヤー、パンフレット、ホームページのデザイン仕事で日々をつなぎ、依頼があれば歌を書く。
そうして気がつけば、25年の年月を経ていました。
本当は誰もが愛されたいと願っている
生きとし生けるもの全て、本当は愛されたいと願い、世の中が平和であってほしいと願い祈りながら生きています。
それでも、内観しうる心は整えつつも、身体の外側では万象がある。
そうして、日々の暮らしで疲弊した心からは余裕が剥がされてしまう。
この世界の現状は比べ合う機会が多すぎることから、人々は無意識のうちに「このままではいられない」という心の声にかき乱されて、的外れな言動を取ってしまったり、満たされきれない思いによって喧騒が世の中に渦巻いている。
音楽もアートも、本来、癒しであり、喜びであり、希望の光であり、躍動であり、静寂であり、愛情であり、情熱であった。
それなのに今は多くの人々が何か過激な叫びによってそれを解消しようとしてしまっている。
失敗と成功を経てこそ見えてくることもある。
足るを知るという言葉は素晴らしい言葉で、ぼくもミニマリストであり、
小さな部屋に暮らし衣服もほぼ同じ色で揃え、持ち過ぎないようにしている。
少食主義で、日々、麦、豆、青野菜で暮らしている。
豪勢な食事がしたくないか?と問われれば、食事をする際の会話、空間は是非ともありがたく思うけれど、
食事自体があまりにも豪勢だったり贅沢なものだと、少し身が引けてしまう。
いまの自分はそんなにもそれを求めてはいない。
歌を書き、支払いを滞りなく行い、暮らせるなら、それは何よりの幸せ。
それがいちばん難しいことでもあるのだけれど・・・。
足るを知るという言葉は、実際に至高な暮らしにふれて、
それがどのようなものか、良い部分、そうでない部分を実際に自分で確認しなければ、
なかなかたどり着けない意識だとぼくは思う。
その意味では、ぼくは恵まれている方の部類に入る。
売れるとはどういうことなのかを、良くも悪くも、しっかりと体験させていただいてきた。
そして底辺もしっかりと知って、両者を知るからこそ、中庸としての足るを知るに至る。
贅沢とはどういうことか。高級とはどういうことか。そしてその逆もまた然り。
質素とはどういうことか、貧乏とはどういうことか。そのちがいはどこにあるのか。
それを知って初めて心の内側から足るを知るという気持ちが生まれてくる。
本当の感謝の気持ちも絶えたりしない輝きとしてハートに宿る。
少年よ、青年よ、少女よ、女性たちよ大志を抱け
書籍・歌・アート、様々な現代的な表現には、同情してしまう部分がある。
どうしても突き抜けることができず、もがき叫びに似た姿が日本全体から感じられる。
ならお前はどうなのだ?と問われれば、ぼくも等しく、もがきの中にいる。
それでも、しっかりとあきらめるところはあきらめながら、希望の炎をハートの内側には灯し続けている。
ぼくはソングライティングセラピー作詞教室において、
基本的に生徒さんの作品を否定するようなアドバイスはしたくないと思っています。
ただし、自分の美学はあるので、自分の美学とは違うなという場合は、それは伝えさせていただきます。
自分に嘘をついてまでは習いにきて欲しくはない。
小さくまとまらないでほしいと思う。
真っ当な大志を抱いてほしい。
真っ当な大志を抱くなら、己の信じる道を貫く先には希望だけがあなたを招いてくれる。
ぼくは自分の信念、美学として、表現とはサービスであり、感謝であり、慈しみの気持ちなのだということを伝えるために、
このソングライティングセラピー作詞教室というクラスを開講しました。
ぼくが一時期そのような時もあったように、クリエイターの表現は、自身の経験により変わります。
今、表現しているそれが伝わりづらく、もったいないとしても、それは気づけるクリエイターであれば、やがて様々な経験をして、経験の中で受け取った言葉などから、自分自身で気づいていきます。
だから、今は、それぞれの現状で書いている作品の中の良い部分、個性、感受性、論理性、もっと言うならば神聖である部分をどうにかして、育んであげたいと思っています。
たとえ無謀な取り組みであったとしても、光を灯し続ける。
ぼくが推進しようとしていることは、いまの時代ではもしかしたら無謀な試みになってしまうこともあるのかもしれない。
人々は刺激に慣れ過ぎている。
本物の表現者は抽象度を高く、全世界への感謝を持つことが絶対的条件でありながら、それができず、1年や2年で姿を消してしまうアーティストもいる。
ぼくもその傾向があり、もがきながら生きてきました。
慈しみ、優しさ、慈悲、慈愛、感謝を書く喜びを伝えながら、自分自身でも、本当の人の心の機微を歌にして、自分自身がしっかりと立って歩んでいる姿を見せていくことで、この講座を魅力あるものにしたい。
人生万事塞翁が馬。
苦しみを知ってこそわかることがあります。
喜びを知ってこそわかることがあります。
オートマチックな感情に支配されつつある世界の中で、呼吸を整え、内観から生まれる歌を、誰かまずは一人のために、希望の光を届ける。そうして光は灯され続け、やがて大きな光の広場となる。
慎ましさを喜び楽しみながら、表現の豊かさを味わう。
今はわからなくても、いつかはあなたも、あなたも、あの人も、気づける世界が来るように、ぼくは自分にできる表現を続けていこう。
あなたのハートにきっと届きますように。
Makoto ATOZI