時代Ⅱ
最近はAMAZONでも古本を購入することができる。
新品を購入してくださいという声が聞こえてきそうだけれど、
沢山の本を読む自分としてはネットでダイレクトに検索・ディグって古本が購入できるという仕組みはとてもありがたい。
尊敬できる人々が読んで良かったと話している本を調べて、
片っ端から購入する。
それらの本は得てして古典が多い。
30年前、50年前、中には100年、200年、数百年以上前の書籍の思想が
今に通用するのかと思いながら手に取り、
ああ、時代は変わってでも真理は真理なのだと納得するに至る。
むしろ時代の変化に合わせて書かれた近年の書の中に、
とても軽薄なメッキのような浅はかさを感じてしまう。
音楽もまた同じ。
最近、ザ・ビートルズを聴き直している。
年代ごとに彼等の軌跡、歴史。
精神的思想の変遷を歌詞を読み解きながら感じている。
歳を重ねた今だからわかることもあるのだろうと思い、
あらゆる洋楽古典のようなアーティストの歌詞を分析してみている。
世界を揺るがした偉大なるアーティスト達。
そこには人智を超えた何か大きな力を感じずにはいられない。
島国ではないグローバルな力強さ。
神秘的な何かを宿す芸術。
今は何もかもがあたりまえに、特にこの日本では、
それこそいやったらしさのようなものを排除するような傾向が時代にある。
岡本太郎も言っていたように芸術の真の姿はいやったらしさにある。
燃えたぎるような情熱。ガソリンを飲んで描いたかのようなアート。
向き合うことがエネルギーの戦いのように感じられるようなアート。
僕たちは何かを大切なものを失ってきてしまったのではないか。
僕自身、ここ10年、あたりまえな誰もがいいねと感じるようなペラペラな何かを追い求めてきてしまったのではないかと感じている。
それも必要な時間ではあったのだけれど・・・。
感動至上主義だけでは均一化された一山いくらの桃太郎が生まれてしまう。
古典から僕は永遠の新しさを学びたい。
本物の芸術は常に時代よりも早くにあり、それは古典に繋がれている。
今この時には見向きもされないこともある。
綺麗なだけではない意味のある芸術をもう一度。
Makoto ATOZI