生きるということ

作詞家 阿閉真琴 Blog

生きるということ。
その本当の意味、答えは未だわからず。

僕は30代、恵まれた環境を享受してきた。
作詞家としてのデビューで書かせていただいた歌がロングヒットしたことで、
通常よりも遥かにスムーズに音楽業界の真ん中あたりで生息させていただき、
今になって思えば多くの歌を書かせていただいてきた。

この10年をもっと頑張れていたなら、
実際はもっと多くのことをできていたのだろうと思う。
この10年、12年ほどかな。
それは僕としては低空飛行の時代。
思いのままにはうまく運ばないというような毎日だった。

それでも振り向けばいつのときも
必ずギリギリのところで救いの手が差し伸べられた。
ギリギリ以上は助けてもらえないというような感じで、
ここ12年ほどは暮らしてきた感がある。

それは何故か。
今思うにそれは自分の心に偽りがあったからだと思う。
僕は歌を書くことが好きなのだ。
詩を書くことを生き甲斐として天職だと確信している。
それなのに、
人々の嫉妬、想念、または栄光への自分からのブロックなど、
本来は想定しなければ在りもしない何かへの強烈な抵抗があった。

実際この世の中にはペインボディ、または振り子という、
過去からの生命体が持つ集団想念のようなものがあるという。

それは宗教・政治・企業・あらゆるコミュニティーに存在し、
人々の心を操りながら増大していく想念。

これが良好に働けばプラスの力となって、
神輿となってスターが誕生する事もある。

だけれどほとんどの場合はマイナスへと働くようにできているのが、
ペインボディ・振り子であるという。

生きるとはどういう事なのか。
僕には答えはまだわからない。

それでも想定外の様々なこと。
良い事も良くない事も含めて、その中で学んでいくこと。
気づいていくこと。
それが生きていくという事なのだと思う。

僕は一度、しばらくの年数、
普通では見ることのできないような景色を見せてもらうことができた。
それは何故そのようなことが起こったのか。
それを僕は自分では知っているけれど確実なこととしては伝えられない。

今の僕がいるこの崖っぷちからもう一度、
また今の自分がするべきこと、伝えるべきことを伝え、
それが世の中に受け入れてもらえるようなことがあるなら、
その時にはきっと、人生とは、生きるとは、と、
自分なりの答えが出るのだろう。

それはそんなに遠い日のことではないようにも思えるし、
またはやはり長い人生の最後にようやくわかることなのかもしれない。

この年齢になると、大切な仲間だった生命も、
数人は天に昇った。

僕にもいつかはその時が来るのだろう。

生きるということはどのようなことなのか。
ただ食べて寝てその間で働き遊び体験をするというだけのことなのか。
この人生で我々は何を学び何が為に日々を過ごすのか。

子供がいるなら子供のため、
家族のためというのもわかる。

だけどそれだけではない何かがある。
精神的な修行をする人々は結婚をしないという事も多い。
最近では友情結婚なんて言葉も聞く。

あらゆる意味で多様性を帯び、情報あふれるこの時代に、
生きる意味を見出すことはなかなかに困難でありながら、
それでいて壮大なゲーム&クイズだと思う。
試験であるとも言える。

そうしてこの試験は天から見れば、
「案外簡単なのだよ」と言われているように思える事もある。

今を生きる。
今はそれだけだ。

自分自身を見る。
自分を見る自分。

教えて欲しい。
最高の生き方を。

僕たちが迷わずに、
確かな道を生きていけるように。

Makoto ATOZI