小さな頃から妄想癖がある。
作詞家の素養として必要なことではあるけれど、それに苦しめられるようなこともあった。
それなりに大人になり、気づきを知り、自分を俯瞰してみることを覚えると、
妄想癖にも新たな楽しみと喜びが加わった。
朝、ウォーキングをしながらふと思う。
今のこの崖っぷちにいるような、音楽業界の片隅で、
やっとやっと息をしているような作詞家である自分。
もしもこの自分の魂が、マイケルジャクソンならどうするだろうと考える。
もしも木村拓哉さんならどうするだろう。谷川俊太郎さんならどうするだろう。
僕は弟子でもないし近しくもないけれど、もしも阿久悠先生ならどうするだろう。
ジョン・レノンならどうするだろう。
そのような成功者と呼ばれた人々が、
もしも今の僕のような境遇から志を達するにはどうするだろう。
そう考えながら妄想の中を歩く。
もしもこの身体がそのままマイケルジャクソンなら、
彼ならこの僕の人生をどのようにキング・オブ・ポップの座まで持っていくのだろう。
クインシージョーンズならどうか。
どのように僕をそのような立場まで持っていくのか。
谷川俊太郎さんは生まれが良かったからあのような活動ができたのか。
いや、違うだろう、きっと谷川俊太郎さんであれば、
今の僕のような場所からでもきっと人々の心に届く表現をしていくだろう。
環境が人を創るとは言うけれど、
環境は人の内側が創るものでもあるのだろう。
今、僕はマクドナルドの窓際の席でこのブログを書いている。
もしもこの心身がマイケルジャクソンなら、
こんな今の僕をどう思い、どのようにアドレナリンを操作するのか。
もしも阿久悠先生が今の僕なら、
どのように戦略を練り、歌を書いていくのか。
ちょっとした人格障害スレスレな感じでありながら、
妄想の時には実際に彼らの魂に触れている気がする。
最近、マイケルジャクソンのとても希少なデザインのTシャツを購入した。
大好きな楽曲『Heal the world』の収録されているアルバム『デンジャラス』
そのアルバムを提げてのデンジャラスツアーのオープニングで不動の姿勢で観客席を見るマイケルジャクソン。
マイケルの衣装部分は刺繍でできていてとても手の込んだ作り。
どんなサイトを見てみても見たことのないデザインのTシャツ。
このTシャツを着ているとマイケルジャクソンが僕に乗り移ったかのように元気になる。
そしてお気に入りのTシャツとして僕は知人のドラマーからいただいた、
ジョン・コルトレーンのTシャツを大切にしている。
このTシャツを着ている時はいつも良いことが起こる。
上白石萌音さんの『ジェリーフィッシュ』を書いたときも、
収録決定のご連絡を頂いたときもこのTシャツを着ていた。
だからもう一枚と思って、先日、
フリマサイトでコルトレーンのラグランTシャツを購入した。
2,000円もせずに購入できた。
元の持ち主がニューヨークシティで購入したというTシャツ。
名盤、『LOVE SUPREME』のジャケット写真がデザインされている。
これもとても気に入っている。
着るとジャズの巨匠、コルトレーンが僕の中にいるような気持ちになれる。
このTシャツを着ながら名盤『LOVE SUPREME』をリピートする。
だからと言って、誰かになりきったり、
自分ではない何者かになろうとするのではなくて、
そのような優れた存在の魂(不二ではありながらも)たちがどのように道を切り開いていったのか。
その気持ちを察するために妄想することはとても楽しい。
それが聡明なビジュアライゼーションになり、
希望に光を与えてくれる。
そうして目一杯に力をいただき、
自分自身、阿閉真琴として自分の魂を見る。
自分を見て、現実を見る。
人生は面白い。
紆余曲折、それこそが物語。
小さな枠組みだけで考えず、
もっと大きな空を見て歩みたいなって思い、
僕は今日もまた楽しい妄想をしているのです。
Makoto ATOZI