圧倒的なカリスマ。グランジの帝王。
カート・コバーンの音楽に対する姿勢。
描かれている世界の吸引力。
今更ながら彼の音楽に浸る。
カートはインタビューの中で言う。
「歌詞にはそんなに重きを置いていないよ」
それでも3ピースの音の真中として
リスナーに届く言葉は重い。
常に下から突き上げるように言葉は放たれる。
実際には上から振り下ろされている。
ある時は女性の視線から真理を歌う。
ある時は赤裸々な魂とこの世界の戻れなさを歌う。
取り間違えれば下品でもある。
—太陽は去った。でも俺には光がある
俺は大馬鹿なのかな
俺は幸せなのだろうな—
歌詞の中にはどうしてもドラックの影がある。
時代といえば時代、
それでも荒れくれた音圧の中には清らかさが漂う。
常に実際のことを歌にする。
言葉の断片のようでありながら立体として迫る。
27という数字。
そこから永遠になった音楽。
数少ない究極の楽曲達は今も人々を魅了し、
年々、新たなファンを獲得し輝きを増し続けている。
今の若者にきっとカートの歌詞は響く。
この鬱屈した時代、
カートの言葉はいさぎよい。
歌詞までもよく読んで歌を聴いているリスナーが
どれほどいるかはわからないけれど。
ぼくの作風とは明らかに違う。
目指す場所は明らかに違う。
それでも彼のような姿勢の歌に心惹かれる。
生きていく上で、怒りや荒々しさは不要でも
これだけはという熱は情熱と圧力として歌になる。
グランジ・パンクを根底に置いて描ける光もきっとある。
歌詞ではないけれど、
あの有名なスマイルマークTシャツの背中にプリントされているメッセージ。
“FLOWER SNIFFIN KITTY PETTIN BABY KISSIN CORPORATE ROCK WHORES (花を嗅ぎ 猫を撫で 赤ん坊にキスする(わたしを裏切る) 商業ロックは売春婦)
今年の夏は自分への戒めとしてもこのTシャツを着てみたい。
ニルヴァーナという名の通りサウンドにある浮遊した涅槃感。
こんなサウンドを若き日に演奏してみたかった。
Makoto ATOZI
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