人身事故に遭ってからあと10日で4ヶ月になる。
月日が過ぎるのは早い。
右脚は日々、力が増してきていて、痛みも以前ほどではなくなってきたけれど、
まだ外へ出かける時には松葉杖をついている。
事故に遭って、救急車で運ばれた時、様々なことを考えた。
生きていること自体が奇跡のように思い、過去の反省、これからの人生への志。
まるで生き直すかのように心には様々な気持ちが生まれた。
人生という道。
真理はいまだにわからずにいる。
ぼくらはどこから来て、どこへ行くのか。
この人生の意味とは何なのか。
生まれてくる時に決めてきたというこの人生の意味とは何なのか。
それを本当に知っている人はいないのでしょう。
稀に前世の記憶のある生命もあるというけれどどうなのだろう。
精神的な頼りが欲しく、東洋思想、神秘思想の著者、翻訳家、師と呼ばれる人々を探してみても、なぜか瞳がキツかったり、焦点が合っていなかったりする。
またはあまりにも現世利益的な思想であることもある。
本当の救いはどこにあるのかと探せば探すほど迷路に迷い込む。
そうしてぐるぐる回って疲れ果てて、結局のところ、人生の真理は自分自身の中にしかないのだということに気づく。
生まれも消えもしない真我をこれだと言い切った時、それは移ろいゆくのかもしれないけれど、真心と誠実がそれだとすれば、真我にたどり着いた時、きっと世界はうちも外もなく同じ模様になる。
争いのない世界。
それは自分の中に争いがないということ。
包み込むように包まれるように世界を見ていく時、きっとそれはあって、それをぼくたちは本当はいつの時も知っている。
右脚と肋骨を負傷したことで沢山のことに気づかせていただいている。
何歳になってでもこれからもまだまだ思い悩むことはあるのだろうけれど、その度にこの身体に目を向けて思い出そう。
現実と夢の狭間で後悔しない人生を歩むにはどう生きるべきか。
人生ってわからないことばかりだけれど、だからこそ、生き甲斐があるのかもしれないですね。
誰かと話をしていて心が温かくなるような、お互い呼吸をしているふれあいの人生を歩めればそれは幸せですね。
悩み迷いながらも、よく見れば世界は全て真我で満ちている。
Makoto ATOZI