人身事故に遭ってから、もうすぐで1か月になる。
濃厚な日々。
この人身事故で自分の身体を加害者が運転する車に撥ねられ、様々なことを思った。気づいた。
良くないことの中には必ず、学びの種がある。
これだけで済んでよかったということもできる。
命があってよかった。
命があるから、これからできることもきっとある。
痛みを知った。
身体は泣いていた。
理不尽さの中で、悔しさも知った。
人間の、自分の身体の驚異的な回復力にも気づくことができた。
そうして回復するごとの喜びもある。
運転は気をつけましょう。
誠意ある対応で人には接するべきだ。
ましてや自分が傷つけたのであれば。
ただお金を払うだけではなく、ただ言葉で飾るのではなく、虚偽のない状況を見せ、虚偽のない誠意が人には必要。
今回の人身事故は僕が大丈夫と大丈夫でありたい願いから言ったことから、スピード等の偽情報から、最初軽傷扱いで運ばれ、蓋を開けてみれば重傷で危険な状態だった。
人身事故を起こした場合、被害者の身体に触れてはいけない。
僕は加害者に抱え上げられた。
見た目には美しいかもしれないが、それにより事故現場の正確な情報が見えなくなってしまう。
今、僕の脚にはプレートとボルトが数本入り、左肺と肋骨は三分の二の大きさになった。
この身体でぼくはここからの人生を生きていく。
負けてたまるか。
生きる。
一日一日を大切に。
阿閉真琴