歴史的背景と文化を歌にするということ 作詞と倫理 

作詞と倫理エンターティメントの限界はどこに

昨今、歌の内容が歴史的背景、文化への理解に欠けているということからタイアップから降ろされたり、発売が中止になったりというニュースをよく目にするようになった。

昔であれば、何のことなくヒット曲にまでなったような楽曲も、2024年の世界で再発売するとなるとこれはまずいだろうということは多くある。

よく発売できたものだという歌、日本には沢山ある。

そして文化面から見た倫理観は国により大きく異なる。

作詞講座・作詞教室 ソングライティングセラピー Makoto ATOZI

八百万の神、日本にある独特な文化観

日本は八百万の神の国である。

神道、仏教を中心にしながらも、宗教という言葉とは少し距離を置くような独特の感覚がある。

祭り、祭祀とは本来、宗教でありながら日本人にはこの自覚が希薄であるように外国諸国からは見えているのでしょう。

海外ではあり得ないこととして、日本人は野外でもビール、お酒を飲む。

国により倫理、法律は異なりながら、近年のパッシング、炎上は国内から起こるものであり、人々はかなり、エンターティメント、または目につく全ての物事に対して過敏になっている。

だからといって、エンターティメトだから、アーティストだからそこのところの認識が甘くても許されるのかといえば、それはなくて、発売され、価値あるものとして流通し、子供たちも見る内容であることから、ある一線規制はやはり必要。

作詞講座・作詞教室 ソングライティングセラピー Makoto ATOZI

渇望と浮かれすぎという問題

世の中の苦しみは渇望と執着より生まれる。

歴代の聖人たちが皆、揃えたように同じ意味のことを説いて後世に真理を残してる。

だけれども、エンターテイメントの本質の一部には背徳的な側面もあることは否めない。

渇望と浮かれすぎ、パーティー気分、無知、超常的インスピレーション。

それもまた愚かではありながら音楽・アートの発展の一躍を買っている。

エンターティメントの大切な一部分でもある。

作詞講座・作詞教室 ソングライティングセラピー 阿閉真琴

中庸に豊かに

僕自身も今まで書いてきた歌の中で、これはまずいかもしれないという歌はある。

高揚した感情とインスピレーションで歌を描くとき、そのようなことは起こり得る。

自分の作詞教室の生徒さんの歌でも、今現在もそのように倫理的にギリギリと思える歌はある。

世の中は今も昔も刺激を求め、刺激を浴びることにより日々の活力を得てなんとか日々を生きているという人々も多い。

そもそもエンターティメントは、鬱積した感情・ストレス発散のためのサプリとしての役目も持ってる。

それでも、自分自身としては、ここ10年ほど世の中の聖典・古典を自分なりに学んできて、日本人、または一般的感覚では麻痺してしまっているような感覚はあるのだと感じられる。

世界の争い、差別、世の中の異変は常に何により起こされてきたのか。

それは文化への価値観の違い。

だからエンターティメントに関わるものとして、これからの時代は十分にこのことには配慮しながら、それでいて感動を巻き起こすことのできるスケールのある歌を描くことを求められる。

音楽は人の心に働きかけるものだから、不快に感じたり、屈辱的であったり、冒涜に当たるような表現は、やはりしてはいけない。

作詞講座・作詞教室 ソングライティングセラピー

中庸でありながら、愛に満ち溢れた歌は書ける。

それこそが本当のラブソングでもある。

普通の暮らしの中にある尊さを、もう一度思い出したい。

 

Makoto ATOZI