作詞講座・作詞教室 ソングライティングセラピー あとじまこと

瞑想と音楽とヨガ哲学

ミュージシャンは内観へ向かう

インド哲学・瞑想に傾倒したアーティスト・偉人・ラッパー・成功者はとても多い。

ジョン・レノン、スティーブ・ジョブズ、多くのクリエイター、実業家、成功者が自身のクリエイテイブをより強固にするために人生に瞑想を取り入れてきました。

正式なヴェーダの流れを汲む思想、ヨーガ哲学、キリスト教までもを包括した精神神秘哲学、信仰する道はそれぞれ違えども、音楽・アート・科学の発展のために瞑想・神を思う・愛することが必要であると多くのミュージシャンは気づいた。

思考を止めることで至る境地。観えてくるビジョン。それすらも超えた境地。

大抵の場合、彼らは狂人扱いされてきました。

ヴェーダ、サーンキャ哲学、ヴィシュヌ派、ヨーガ哲学、仏教、インドを発端とする哲学では放擲を推奨します。

一言で言うならば資本主義の真逆。何も所有しない。

南伝の仏教では遊行をして住む家も決めない。

 

物も、家も、家族も、自分の所有物をすべて放擲してただ宇宙の源のためのみに生きる。

ブラフマン、アートマンとの一体を求め、宇宙の主を求め、始まりも終わりもない境地を求め孤独を選ぶ。

ヨーガ哲学の3大聖典の一つ『バガヴァッド・ギーター 』では父親族仲間などを敵地に見て戦いを退きたく願うアルジュナに対してクリシュナは「戦えアルジュナ」と説く。ヨーガを行為せよと説く。行為を祭祀として行えと説く。

一般的な感覚で読めば、現実社会の枠からは完全に外れた思想に見える。

 

そうして、修行をしていく中で様々な超常的な現象に出会うこともある。

それでも聖者となる存在は超能力のような恵みさえも放擲する。

そのようなものには価値はないとして、真理を知ることだけに人生をかける。

またある人々は、悟ろうとすることさえも欲望なのだとして、仏陀が説いたように中道こそが正しいのだと、皆、ある期間の修行を経て、俗世に戻り、また日常の暮らし、またはクリエイテイブに力を注ぐようになる。

そうして一部の世界的アーティストは瞑想を取り入れる以前とは異なる表現により人々を魅了し、

世界の人々に気づきを与えてきた。

悠久のヴェーダなどにインスピレーションを受けた表現も、一般的な常識を超えた表現となることから一部の価値観の世界からはパッシングを受け、多くの熱烈な支持者はより彼らの音楽にのめり込んでいく。

 

作詞講座・作詞教室 Makoto ATOZI

永遠を感じられる世界に

ぼくが幼き頃は、日々の中に永遠を感じていました。

小学生の頃、道路の横を流れていた用水。赤とんぼ。夕焼け。各家に灯る明かり。

あの日々の原風景には永遠のような美しさがあった。

何もかもが希望に満ちていた時代が今でも見えます。

ギリシャ神話、ケルト神話を好んで読むような小学生だったのでかなりの夢想家で、

鍵っ子でもあったので、一人遊びのように神・宇宙を信じて過ごしていました。

 

そうして、大人といわれる年齢になり、作詞家になって、環境は激変。収入も一時上がりました。

自分としては見たこともないような景色が繰り広げられ、都会の暮らしをこれでもかと感じ、めまぐるしい日々を駆け抜けていました。

やがて、そのような欲望の世界には、よからぬものたちを引き寄せてしまう磁力もあると知り、それが正解かどうかは分からずとも、田舎へと戻りました。

 

様々な自分の心、行いへの懺悔からスキンヘッドにしたこともありました。

家賃も3万円ほどのアパートへと引っ越して、車も手放しました。

世俗の何もかもがどうでもよく感じてしまったのです。

 

ツルツルの頭皮で、何も求めずに生きようと決めた日、世界はとても美しく見えました。

それでも、性分というのはなかなか変えることができず、

ぼくは、自分のクリエイターとしての魂までを放擲することはできませんでした。

なにより抱えている借金は早く返してしまいたい。

だから自分にあるリソースを全力で生かそうと決めた。

 

25年の人生の中では、もう何もかもを終えて、身体一つ歩いて東京か、どこかの県の山奥まで行って、ホームレスで飲まず食わずで一生を終えようかと腹を括った真夜中もありました。

それでもぼくは、親しい生命、自分の書いた歌への責任などを考えると、それをやりきることはできませんでした。

 

ヨーガの聖典、バガヴァッドギーターによると、すべての行為をクリシュナへの愛、祭祀として行うこととあらゆる場所で説かれています。

今、ぼくは自分のこの作詞という仕事、教えるという仕事、これを宇宙の源へ世の中への祭祀として考えて行なっています。

いつも全魂を注ぎ、アドバイスシートを書いています。

 

作詞講座・作詞教室 あとじまこと ソングライティングセラピー

世界中の優しさよ 慈しみに歌いましょう

いつのときも何事かの良き結果が出るには時間がかかります。

ぼくの提唱するソングライティングセラピーも、この行為が、世の中に対してどれだけの価値を提供することができるのか。

それは、費やした時間とぼくの行為と志が結果を決めるのでしょう。

 

そしてあなたの優しさ、あなたの尊さ、あなたの可能性が、

きっと、ソングライティングセラピーという新しい試みに、結果と価値を与えてくれるのだと思います。

クリエイテイブに生きていくと、ある種、暮らしがストイックになりがちなところがあります。

ぼくもおなじく、毎朝晩、冷水を背中から浴びて祝詞を唱え、毎朝晩、ルーティーンを定め、完全菜食主義と、自分の時間、行為を縛って、あえて不自由さを課して生きてきた日々がありました。

瞑想、神秘主義を推奨するブログを書いておきながらではありますが、何事もやはり中庸こそが平安の道です。

日向の道を真ん中を歩く。

北にも南にも東にも西にも天にも地にも偏らずまっすぐに歩む。

やはり人間は、世俗にいる間は少し良い加減なくらいでいいんだろうなと今は思います。

遅くてもいいじゃないですか。

笑われたって、人から見れば劣っていたっていいじゃないですか。

自分が自分としてあれば、それがいちばんの至福。

時代は今、混沌の中にあります。

誰もが道を見失いかけています。

1年先、3年先の自分の姿が見えている人なんて、ごく僅かでしょう。

ぼくは、ぼくにできることで、自分なりの経験からあなたに伝えたいことがたくさんあります。

ゆっくり歩みましょう。

共に、音楽で、言葉で、慈しみ合い楽しみましょう。

 

Makoto ATOZI